パリ砂糖漬け
折々の話

フランスのコルドンブルー留学記「パリ砂糖漬けの日々」復刊

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Webメディア「Pen & Spoon」はこのほど、Kindleで「パリ砂糖漬けの日々 ル・コルドン・ブルーで学んで」(文藝春秋)を復刊しました。

絶版になった単行本をデジタル化しました。ぜひお読みくださいませ。

 

それにしてもKindleセルフ出版、すばらしい仕組みです。感動しました。

Pen & Spoonは書籍レーベルとして今後もKindle出版を手がけてまいります。

あとがきより

パリに滞在していたのは2005年~2006年、まだガラケー時代でした。スマホもSNSも「何それ?」でした。本文中にもミクシィで宿の予約したり、メル友と会ったりした話が出てきます。

会社を辞めようと思い始めたのが「ブログ元年」といわれた2004年の年の瀬です。ブログを書き始めました。「おやつ新報」と名乗りました。「新報」は「信奉」にひっかけています。

「食」について毎日、書き続けられたら会社をやめても大丈夫だろう、パリへ行こう。そう決めました。

新聞記者とはいえ当時は編集者でした。見出しはつけていたものの長い文章は5年も書いていませんでした。夜勤明け、午前4時から書いていました。続けられそうだなと思い、エイヤッと飛び出すことにしました。

「おやつ新報」ブログは結局12年間、月に1度の「休刊日」をのぞいて書き続けました。

パリ留学中はブログに加え、かつての仲間が口をきいてくれて朝日新聞デジタル(当時はアサヒコム)にあった「アスパラクラブ」という会員制サービス(もうありません)に毎週、コラム「パリ砂糖漬け」と題して連載させてもらっていました。

帰国してから連載をまとめ、加筆したのが「パリ砂糖漬けの日々 ル・コルドン・ブルーに学んで」です。

 

文藝春秋より2007年、出版されました。フリーランスの「おやつ記者」を名乗って活動を開始しました。

パリ砂糖漬け
Photo by Chikako TADA

8年間でレシピ本や訳書など合計7冊を出しました。どれも大切な1冊です。たくさんのご縁をもらいました。

情熱を持って取り組んでいたのですがインドにいるころわけあって「おやつ記者」をやめました。

インドで作ったブッシュドノエル
インドの教室で作っていただいたブッシュドノエル Photo by Chikako TADA

とにかく働きたいともがきました。インドで就職活動をし、現地採用として宮仕えに戻りました。

12年ぶりにお給料をもらうようになって正直ホッとしました。しばらく胸はうずきました。日本に一時帰国して本屋に行ってもレシピ本の棚には近づきませんでした。百貨店の製菓材料コーナーの前を通るだけで「あー」と何とも言えない思いがしました。

1年、2年とたつうちに慣れました。

「もうお菓子の仕事をしないんですか」と聞かれるたび、私はもうそこにいないのだけどな……とうれしい反面、困った気分になっていました。
また書く仕事をしようと決めるまで3年かかりました。きっかけは2020年、新型コロナウイルスです。

世界中で外出自粛中、FacebookやTwitterに「ブックカバー・チャレンジ」という投稿があふれました。好きな本の表紙を7日間、紹介するという試みです。

何人かの友人が「パリ砂糖漬けの日々」の表紙をシェアしてくれました。シンガポール在住のAさんはこう書いてくれました。

「情報をまとめて発信すること、いつも全力投球でいること、楽しいことやおいしいものをシェアしていくこと、独立心など私自身が得意じゃないことを軽々とされててまぶしいです」。

あーっ。声が出ました。そんなかっこよくないのに。

A子さんが言うような「私」はどこにもいなくなっていました。涙がとまりませんでした。

原点に戻ろう。いろんな意味でホームに帰ろう。いちどきりの人生、思い切り生き切りたい。

Photo by Belinda Fewings on unsplash

予定を早めて2020年5月、7年暮らしたインドから日本に本帰国しました。再起の一歩として絶版となっていた「パリ砂糖漬けの日々」を復刊しました。

自前レーベル「Pen & Spoon(ペンとスプーン)」が版元です。久しぶりに読み返しました。
何ともまあ、1行ごとに顔から火が出ます。

自己陶酔とひとりよがりのオンパレードです。当時は30半ばでした。まだ脱線しきれていません。人の目とかトシとかを意識しているのも伝わってきます。

15年前の私に言いたくなりました。なーんにも気にすることなんかないよって。

とりわけ好きなのは次の8つです。

 午前四時のマドレーヌ:新聞社を辞めるまで

 地震の朝のラムレーズン:辞表を出してからパリに行くまで

 512号室の板チョコ:チェチェン出身の同年代女性との出会い

 黙らせサブレ:人生を変えたパリのサブレ

 サンポとドーナツ:フィンランドで訪ねた母と息子さん

 大将のパスタ方程式:ヘルシンキの宿で味わったイタリア人の料理

 シュー四半世紀:小学生のころ友人と作ったシュークリーム

 さよならのエスプレッソ:パリを去り際、目のみえない女性との別れ

パリで出会った人たちに再び会いたくなりました。チェチェン出身の看護士カスマンは母国に帰れたのだろうか。メル友だった目のみえないアンヌは元気だろうか。フィンランドのサンポ君は……。次は英語版を出したいと思っています。

復刊にあたって文章の流れを損なわない範囲で不要と思われるデータは除きました。

色あせた話ばかりのようで変わらないものもたくさんあります。

黙らせサブレは相変わらず作っているし、ラミーチョコも冬になると必ず買います。何よりパリは永遠です。

進化したのは走ることです。パリで始めたジョギング熱はそのあと重症化、毎年フルマラソンに出るまでになりました。

インドで苦しみ、組織に戻ったのも大きな糧です。銀行や総合商社で働き、たくさんの学びがありました。

49歳、また新しい人生チャプターのはじまりです。こわいものなんてありません。

チャレンジしないのが人生最大にして唯一の失敗ですから。「迷ったらゴー」なのも「パリ砂糖漬けの日々」のころと変わりません。

復刊した「パリ砂糖漬けの日々」を手にしてくださった方が「あんなのでも生きていけるんだな」と思ってくれて元気が出たなら、ぶざまをさらしたかいがあります。冥利に尽きます。読んでくださったみなさまに心から感謝します。

2 Comments

  1. kumirinn

    おかえりなさい千香子さん
    待ってましたヨ!!!

    • kumirinnさん、コメントありがとうございます!じーん。ただいま、といえるのが本当にうれしいです。頑張ります!

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